くきなみ村から

人生万事大丈夫

夢の話


 以前ラジオで
「砂浜にお金がたくさん落ちている夢とか、龍が昇る夢を見た時、家を建てたりいろいろいいことが重なった。逆に落ちる夢などを見た時には離婚したりしてあまりいいことがなかった」と言っていたのを聴いたことがある。ぼくはそんなに人生を暗示するような夢を見たことがないので、何かうらやましく思ったものだった。

 そういえば、むかし家に生えていた木が突然龍に化けた夢を見たことがある。夢の中で「これは縁起がいい」と思い、龍のうろこをはぎ取って食べたのだが、いいことなんて一つもなかった。
 その夢を見たのは、長い浪人生活の真っ最中だった。その時期はいいことが全然なかったので、かなり縁起や占いに頼っていた部分もあった。夢判断という本に「この夢は吉夢」という夢を見た時は、さらに「奇門遁甲」という占いで吉の方角を占い、出かけたりした。しかし、それが吉と出たことはなかった。

 結局夢というのは、その時一番気にしていることを視覚化したものだと思う。例えば、陽が差し込んで「何か暑いなあ」と無意識に思っていると、『暑い』→『夏』→『海』という一連の連想で、「よく晴れた夏の日に港を歩いている」夢を見たりするのだ。さらにその夢を見ている最中に、外から子供たちの声が聞こえてきたりすれば、この夢が海水浴のシーンに急に飛んだりするのだろう。

 まあ、ぼくの見る夢というのは、だいたいこんなものだ。先の龍の夢だって、その当時三国志に凝っていたから見ただけじゃないだろうか。諸葛孔明は「臥龍」だったから。

 ぼくが見るような夢もあれば、最初に書いたような夢もある。また、予知夢というのもある。
 以前ある本に、海で遭難した人の奥さんの話が載っていた。

 それは、その奥さんが見たという夢の話だった。その夢の中の会話が紹介されていたが、
「あなた、いつ帰ってくるの?」
「○月×日だよ」
 その○月×日にそのご主人が見つかったという。

 結構最近の話なので、覚えている人もいると思うが、ぼくはこれを読んだ時、「やはり予知夢というのはあるんだ」と感動したものだった。こういう方面に憧れのあるぼくは、その記事を読んでから1ヶ月間ほど「予知夢を見るぞ!」と意気込んで寝ていた。
 しかし予知夢を見ることは出来なかった。しかし、その間、夢を見ることは出来たのだった。 (2001年12月6日)