ぼくの住んでいる八幡(北九州市)に、花尾山という山がある。夜景で有名な皿倉山の横にある、400メートルに満たない低山だ。そこは中世に城があったらしく、所々にその跡が残っている。
二十代から三十代にかけてぼくは、運動不足解消のために、よくその山に登っていた。歩くにはちょうどいいのだ。
さて、その頃は気づかなかったのだが、四十代になって久しぶりにその山に登った時、山頂付近に石柱があることに気がついた。高さ3メートル弱くらいの石柱が、何本か重なって立っているのだ。
その周囲に空き缶やゴミがたくさん捨てられていたので、最初はゴミ捨て場かと思ったのだが、何か感じるものがあり、石柱群の周りを調べてみると、そこに、古びた石板が置かれていた。土やゴミに紛れてわかりにくかったのだが、その石板には、文字のようなものが書かれている。
「何と書いているのか?」と、こびりついている土を落として見てみると、そこにうっすらと『白髭大明神』という文字が浮かんでいた。ゴミ捨て場だとばかり思っていたその石柱群は、何と白髭大明神のご神体だったのだ。
「もしかして、ここは霊山なのか?」と、ぼくは思った。
そういえば、隣の皿倉山から見た花尾山は、きれいな三角錐をしている。きれいな三角錐といえば、ピラミッドである。ピラミッドの上には、必ず太陽石があるといわれるが、それが花尾山でいうところの『白髭大明神』なのだろうか?
日本のピラミッドというのは、かなり古い時代に造られたものらしい。もしかしたら後世の人は、その石柱群が何を意味するものかわからないままに『白髭大明神』にしてしまったのかもしれない。
しかし、飛鳥時代以前の人々はそのことを記憶していたのではないだろうか。だからこそ神功皇后は、朝鮮征伐に使う船の帆柱になる木を、わざわざ霊山である花尾山近くの山(帆柱山)に求めたのかもしれない。
(中央が皿倉山、その右横が権現山、花尾山はその間にある)