2001年9月に起きたアメリカの同時多発テロの時、ニュースで「神よ。アメリカに加護あれ!」と書かれたニューヨークの電光掲示板を映していた。(もちろん英語で書かれていたが)
もし、日本が今のアメリカと同じ立場に立っていたとして、こういうことを書くとどうなるだろうか?
答は「こういうときに、なんと不謹慎な」と非難を浴びるだろう。
この社会は「神」を認めていない。というより、文明とか科学というものを信じすぎている。
日本はいつから「神」を否定する国になったのだろう?少なくとも、前の大戦の時は日本の勝利を祈って、集団で神社に参拝していたわけだから、それ以降ということになるだろう。
そうであれば、それは政教分離を謳った憲法が多分に影響しているのだろう。ということは、当然今の憲法を押し付けたアメリカが絡んでくる。
徹底した神の国であるアメリカが、どうして日本に神を許さなかったのだろうか?
自分のところの神だけが神と思っているのだろうか?
日本の神が戦争に走らせるとでも思ったのだろうか?
ということは、お稲荷さんも戦争に走らせる神ということになるのか? それなら、狐は悪の根源ということになり、油揚げすらも危険な思想ということになってくる。
富士浅間神社というのがあるが、富士山も戦争に走らせる神か!?では、なぜ憲法に富士山を見たり登ったりしてはならない、と書かなかったのか?
新潟県に「ちんぽこ神社」と呼ばれている神社があるそうだが、これも戦争に走らせる神か!?
当時、事件を受けて、ブッシュ大統領は「神」を連発していた。では、日本の政治家が公式の場で「神」と言ったらどうなるのか。
例えば、日本の首相が「お稲荷さんが『自衛隊を派遣せよ』と言うので、そうすることにします」と言ったら、辞任しなければならない。
財務大臣が「景気をよくするために、国民はみな白装束で富士山に登りましょう」と言ったら、間違いなく更迭されるだろう。
○○氏が「ちんぽこ神社の神様が夢枕に立ち、『立ち上がれ』と言ったので、総裁選に立候補しました」と言ったら、「何を考えているんだ」と言われ立候補を取り消されるだろう。
それもこれも、わが国に「神=不謹慎」という社会の風潮があるからだ。
国会で堂々と神を語れる時代が、一番平和な時代だと思うのですが。
(2001年9月に書いたものを、今仕様に書き直しました。)